© 2019 by Yasuharu Isono.

 

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「limited unlimited」

 

- 油彩、カンヴァス - 727×1167mm (2018)

私の作品「limited unlimited」は絵画における装飾性や具体性を削り落とし、真実の表出を試みています。茫洋とした真実という風景を眺めていると、その広がりはいつも私に語りかけてきます。

「人間は絶対ではない。また世界も絶対ではない。真実は常に揺らいでいる。」

 

重要無形文化財総合保持者、人間国宝の能楽師 坂井音重師の言葉、「能には『人間は絶対的な存在ではない』という日本人の深層心理があります。」

 

その言葉に私は自身の制作テーマと合致する観点を発見し、とても興味を持ちました。禅庭にも通じる様な、最小限の行為にて最大限の表現効果を発揮するための様々な工夫に心を打たれました。

 

本作品は、白と黒の最小限に限定した二色の油絵具のみを用い、混ぜ、また幾重にも重ね、水平線を描き出しています。それは無意味でしかないのかもしれません。しかし我々の世界に正しい答えが無いように、その存在が我々にとって最大の意味を持つようにも思うのです。

「and Ray」

 

- 油彩、カンヴァス - 333×530mm (2017)

「ハナミズキ」などの作曲で知られる作曲家・マシコタツロウのCDアルバム「あなたのいない季節なんて知らない」のジャケット制作依頼により制作した1枚です。サウンドや歌詞中で描かれる“世界観”を自身の絵画テーマによって表現しました。また絵画内の「光」をより輝かせるための効果として、背景となる「実存の世界」の存在とのコントラストを強調しました。

andRay

「andRay」

 

- 油彩、カンヴァス - 1455×1455mm - (2016)

「正しい」は『正しい』のだろうか? 資本主義や共産主義、社会主義 …歴史上、数々のプロパガンダを叫び、ポリシーを土台にしても、我々の住む世界は日々不安定さを増しています。同時に並行し、連綿と続く絵画史又は芸術とは一体何なのか?それはひとつに「光」を見出す事だと言えるでしょう。どの様な絵画も、平板な支持体に光を描き(操り)、時には奥行きを与え、或いは更に平板にしたり、歪めたり縮めたり、明るくしたり暗くしたり…等、具象・抽象を問わず、あらゆる工夫を凝らし、人類は芸術に光を“思い浮かべ”続けてきました。それは実体のない絵画的なプロパガンダ、つまり「こうであってほしい」という欲望の現出史とも言えるのです。

この作品は伝統的主題である風景をモチーフとしました。 実際に外界の「光」を受け取る私達の網膜は2次元のスクリーンです。左右の眼球は離れた位置にあるため、各スクリーンに映し出される2次元像は同じにはなりません。脳はこの左右の「ズレ」を基にして奥行き情報を補っています。我々が真実だと感じる世界、つまり3次元像とは、こうした脳内で再構成された「間接的な処理映像」に過ぎません。その様な世界をあてには出来ません。私はその「ズレ」を補正及び還元する為、メディア(絵具)が対象に変容する途上で、筆触による物理的なダメージを与えました。異なる絵画空間を同居させ激しく歪めたのです。「私はヨーロッパについては何ひとつ知らない新生児のようでありたい。事実や流行を無視し、ほとんど原始的でありたい」というクレーの言葉の様に、見るもの全ての本当の世界は別なのではないか、と好奇心を持つからこそ、私は描くのです。私は本来の視野を取り戻したいのです。

Distortion “H Izumi” - eroded sight_consideration to grasp(capture, hold, find out) the truth_ Magic Square painting No.072

「歪(H Izumi)~侵食される視界_真実を捉える為の考察_魔方陣絵画No.072」

 

- 油彩、カンヴァス - 1455×894mm - (2015)

『日本ではアダルトビデオの普及とともにモザイク処理の認知度が広まっていったため「モザイク処理= 卑猥」という固定観念は今も根強い。』(モザイク処理,Wikipedia)と云われる様に、我々が「見てはいけないもの」と措定したものに対する実像の“否定”の現象としてモザイクは存在しています。この作品では、フランス新古典主義における最も権威ある画家として今も絵画史に燦然と輝くドミニク・アングルの作品「泉」をモチーフとしました。女神をモザイク処理として変換し、しかし、あくまで絵の具 らしさ・筆触を重視しながら、綺麗な四角(モザイク)の連続にはならぬ様、慎重に色と形を選んでいきました。また絵の具に蜜蝋を混ぜる等の古典的な技法も織り交ぜました。つまり現象としての“映像的” なモザイク効果を活かしながらも、実際は敢えてその“映像的”とは真逆の仕上がりにしたという事です。とてもペインタリー且つ絵画的であり、見る距離によっては下手でチープでキッチュ、つまり下劣なエロにも見えてしまう。そしてまた位置を変えれば崇高な絵画にさえ見えてしまうというトリック。僕等は芸術を通して一体何を見ているのだろう?という問いを込めました。

「Lose control of the “outline”」

 

- 油彩、カンヴァス - 410×410mm - (2015)

著しい物象化の時代、我々は“感じる”事の機能不全状態、不感症の病を抱えていると言えるでしょう。人類は効率化という名目の下あらゆる事物を情報としてアウトライン(輪郭)化し、あるがままのリアリティを失った風景の中では何を見ても“確か”な気がせず、それを補填する為に更なる情報化に奔走、そして迷走しています。我々の身勝手な措定、アウトラインからの世界のズレ、或いは浸食してはみ出し溶け消える本当の世界、つまり“真実”の証明を試みた作品です。

「Glowing Night in the Forest」

 

- 油彩、カンヴァス - 410×410mm (2015)

我々人類は進化・発展という命題の元、希望の「光」を謳い、自己過信による世界の支配者としてスクラップ・アンド・ビルドを繰り返してきました。しかし西欧文明や資本主義を中枢とした成長はあらゆる面で鈍化し、世界情勢は混迷を極めています。我々の意識の無意識に擦り込まれ続けた固定概念、価値観、そして「光」は今では定まる場所も無く、揺らぎ続け、その絶対性(イデア)の欺瞞性も自明の理となっています。この作品では「Glowing Night in the Forest」の主題を更に展開させ、私の制作テーマ“可視性と不可視性から成る世界の真実性”を元に制作しました。意味としての「光」、無意味としての「筆触」を交差させる事により、我々を取り囲む世界の「幻影」性の表出を絵画で試みたのです。

「Lose Control」

 

- 油彩、カンヴァス - 227×227mm - (2014)

ルネッサンスの巨匠ラファエロが描いた聖母というキリスト教のアイコンをモチーフとしました。キリスト教文化では聖母は超越的な奇跡的存在であり、多くの宗教画家は最大級に理想化させた聖母像を生み出しました。その中のひとつを完全模写し、敢えて途中で溶剤をかけ溶かし、完成としました。描くという技術により絵の具が聖母という宗教対象へと変化し、誰もがそう認識し崇拝する像となるが、対象となる像は溶け、絵の具という単なる物質へと帰化していく、という狭間で止めたのです。僕等の観ている真実という知覚は、何処まで行っても物質と視覚の知覚現象の狭間を揺れ動き彷徨い続けます。「真実とは一体何だろう」と鑑賞者に問いかける様な画面に仕上げました。

「︎Glowing Night in the Forest」

 

- 油彩、カンヴァス - 227×227mm (2014)

この作品は一見抽象絵画に見えますが、実は鬱蒼と木々が生い茂る風景を描いています。グレーの箇所は葉の隙間から差し込んでくる『光』です。背景の暗闇の不定形な世界の中から『光』の明るい定形の世界を浮かび上がらせようとしました。地の揺れるような抽象的場と、図の『光』が、行ったり来たりを繰り返します。抽象的な世界を観ているのか、『光』を観ているのか、私達の視覚からの知覚・認識が簡単には固定出来ない様にしたのです。何が正しいのか判断に戸惑う社会情勢の中で、僅かな真っ直ぐに輝く『光』を見出したいと希望を込めて描きました。

「and Ray」

 

- 油彩、カンヴァス - 273×455mm (2013)

この作品は、私の作品シリーズ「Glowing Night in the Forest」のテーマ性を発見した第一号の実験作です。歴史の中で連綿と続く絵画史、又は芸術とは一体何なのか?それはひとつに「光を見出す」事だと言い換える事も出来るでしょう。どの様な絵画も、平板な支持体に光を描き(操り)、時には奥行きを与え、時には更に平板にしたり、歪めたり縮めたり、明るくしたり暗くしたり…等、具象・抽象を問わず、人類はあらゆる工夫を凝らして、芸術に光を“思い浮かべ”続けてきたのです。それは“思い浮かべ”るという点で、実体のない「幻影」とも言えます。「こうであってほしい」という人間の欲望の現出とも言えるのです。故に、鬱蒼とする森の中で、葉の隙間から差し込む光が作為無く自ずと自然に存在する様に、混沌とした正解の見え辛い現代という時代性の中で、私は「光」という希望(欲望)を捉え、描き続けるのです。

「Abstract recognition」

 

- 油彩、カンヴァス - 455×380mm (2013)

我々日本人という人種・民族はとても不思議な状況を呈しています。第二次世界大戦以降、“日本らしさ”と象徴される和の風景も価値観も、原爆により皆吹き飛ばされたと云われています。西欧文明の影響を強く受けた敗戦国の我が国は、貧しさの極地から、高度経済成長、そして新興国となり、資本主義経済の導入も経て、今や街並みはモダニズム建築で犇いています。黒髪を脱色し、スニーカーやブーツを履いて歩き、納豆もお餠もお節料理も食べて、初詣には神社に出向き、洋服やスーツを日常的に着てはクリスチャンで無くともチキンを食べてクリスマスを祝う。この様な戦後の日本人の姿は、「西欧人」に憧れ、真似をしては、しかし「西欧人」になり切れない“中途半端”で“異様”な存在と言えるでしょう。何処にも、そして何にも辿り着けない抽象的で不明瞭であり続ける視界。それが現代を生きる我々日本人のリアリティであり、宿命とする性なのです。

「︎limited unlimited」

 

- 油彩、カンヴァス - 227×227mm (2007)

「可視性」「不可視性」が連続する現象的な画面は、我々の普段何気なく、「絶対的」に信用している「見る」ことの意味、あるいは無意味と措定する価値感事体を問います。作品の具体的な制作方法は、まずパネルにキャンバスを張ります。そして油絵の具を一層、乾いたら異なる色でまた一層と塗り込んでいきます。合計約200層近く塗り込み、透明感のあるグレーを生み出していきます。最終的には画面の中央のラインを境に色彩と透明感の微細な変化を上下に与えて、水平線を生み出します。その水平線が距離や角度や時間によって、見えたり見えなくなったりする現象的な画面を構築します。表面は筆触や凹凸は一切なく、前述の現象だけが存在している画面です。

「︎Wave motion of the color that happened in scenery」

 

- 油彩、カンヴァス - 910×728mm (2006)

東京芸術大学図書館で偶然手にした「色彩心理学」という医療分野の本を読み、感銘を受け、生み出した作品になります。例えば盲目の人の片方の手に青い布を、もう片方の手に赤い布をそれぞれ持ってもらい、どちらが青で、どちらが赤ですか?とアンケートを実施すると、9割が正解するそうです。私達は日常の中で「目」以外の感覚器官でも色彩を感じ取っているという事です。それらは空間デザイン等にも応用されています。例えばカフェや飲食店での照明は赤みの強いものを、病院やオフィスの照明では青みの強いものが主に使われているそうです。赤い光は人間が同じ時間過ごしても長く感じる(例えば5分が10分に感じる様に)と研究で明らかになっているからです。青い光はその逆になります。人間が色彩をどの様に感じているのか、試行錯誤しながら描いた中の1枚です。

「86400秒」

 

- 86400枚の写真、カンヴァス - 1455×1455mm (2004)

「一体自分は何者なのか?」

人は生きていると1度は考えたことのあるテーマだと思います。私は日常的に目にしたり、体験する風景や空気、人、時間...等の全てに影響を受けながら自分が成り立っているのではないか?と考えました。

この作品は、1日を24時間=86400秒と捉え、私の視界を1秒ごとにシャッターを切り、自らの手で現像していく事で、人間の自己形成について検証していったものです。写真を1枚1枚キャンバスに貼っていき形成された自画像は、1枚でも違えば、同じものは生まれません。何気なく過ごす日常の1コマでさえも尊い一瞬なのだと、気付くきっかけとなりました。

Wave motion of the color that happened in scenery