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美術手帖 2008年1月号 展評

美術手帖 2008年1月号 展評

磯野泰治 「Shades of Grey」(Gallery≠Gallery)

 

 画廊に入ってまず大きな横長のキャンバスが目に入る。一面に施されているのは、グレーとも何色とも名指しがたい中間色。筆触のムラもなく一様な密度をもって塗り重ねられた油彩の絵具層は、距離をおいて眺めると茫洋とした薄明るさをたたえ、マチエールの物質感を感じさせないイリュージョニスティックな絵画空間を形成する。

 一見ミニマル調のモノクローム絵画なのだが、時間をかけてじっと見ていると、画面の上部と下部で色調が微妙に異なっていることに気づく。均質に広がる中間色に目が眩惑されて錯覚を起こしているのかと思い、さらに画面を見つめていると、画面を上下に二分割する水平のラインが光の軌跡のようにうっすらと現れる。画面はわずかに知覚できるレベルの階調差で二つの色面に塗り分けられているようだ。しかし不思議なことに、画面に接近してマチエールを確認してみても、表層には色面の塗り分けの痕跡が見当たらない。それどころか、さっきまで確認できたはずのラインが再び茫洋としたモノクロームの画面に飲み込まれ、見失われてしまうのである。

 ラインの出現と消滅が観察できる現象的な画面は、おそらく光の透過作用を吟味しながら層の塗り重ねを慎重に調整することによって、達成されるものなのだろう。余剰を排してストイックにつくり込まれた画面だが、ひとたび水平に走るラインが感知されたならば、そこにはいくらかのイメージが発生する。画面を二分割する水平のラインは、空と地、あるいは空と海を分かつ地平線ないし水平線を、つまりは風景的な広がりのイメージを、否が応にも連想させる。そして、空と大地の間に実際の境界線が存在しているわけではないのと同様に、磯野の絵画で出現と消滅を繰り返すラインも、画面内を明確に区切る境界線としては機能していない。

 ある事物をほかから切り離して意味づけること、すなわち分節化こそ世界を認識するための人間的な営みであるとするならば、イメージを付随させるラインが消滅するとき、そこにあらわれるのは分節化される以前の認識不可能な世界かもしれない。こうして、人智の及ばない自然界の事象を観照しているときのような根源的な不安が、鑑賞者に訪れる。

 

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